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水子供養をするまでと終えてからの話

3月上旬に水子供養に行きました。

 

水子供養に行くまでは、生きてるのも嫌になり生まれて初めてかなりの自暴自棄になりました。

はやく死んでしまいたい、こんな私なんかがいきていてもいみがない、生きてるのがしんどい、の繰り返しでした

 

普段はこんなこと微塵も思わない自分でしたし、逆に『死にたい』というような言葉を使う人間を軽蔑するタイプでした。

 

でもそんなこと思わなくなるほど、やる気も出ず、何する気にもなれない毎日でした。

 

そうしていくうちに夫の言葉にも態度にも敏感になり、全てを恨みに変えて溜め込んでいき、気づいたら毎日のように怒ってばかりいました。

 

嘆くだけ嘆いて、それでも受け入れてくれる夫に甘えていたのです。

当然夫にも限界があるから、キャパシティを超えた時、娘は自分が引き取る!といわれ、やっとまともな判断力が自分に戻ったのを覚えています。

それから私には娘が絶対に居なくてはならない存在だし、娘の成長のためには夫がいてくれないと困るし、夫になにか悪いところがあったかと思い返すと、喧嘩の中では冷酷なことを言うけどそれまでは我慢させてばかりでした。

 

そこから今までの自分を取り戻したい

自分に自信がもてるようになりたい

強い自分になりたい

自分を変えたいと強く思い、今に至ります。

 

そしてその週末に、家族で水子供養へ行きました。

関西では安産祈願で有名なお寺ですが、

合同供養をしてもらいました。

合同供養とは言っても、永代供養もしており、他にいたのは1人の60代くらいの奥様。

ほぼ私たち家族だけだと気を緩めてしまったがために、お経を聞いている間子どもが動き回りはじめてしまいました。

夫が追いかけると鬼ごっこをしているような感覚でさらに楽しんで走り出した娘、、、

捕まえた夫が外に連れ出して何とか静かに最後までお経を聴き終えました。

 

が、帰り際。

 

娘がどうなってるのか心配になった私は、終わったらそそくさと出口へ向かいました。

 

そこにはお経をあげたお坊さんが出口を開いて待っていました。

 

何かボソボソと話しかけられたので聞いてみると

 

『おたくの子どもがお経の間騒いどったんやから、何か一言あってもええと思いますよ』

という言葉でした。

 

たしかにと思い、合同供養で一緒になった奥様には謝罪したところ『いえいえそんなん全然いいですよ』とやさしく許してくださいました。

 

そんな配慮もできずにのうのうと去っていこうとした自分を指摘され、すごく恥ずかしかったです。

ただただ流産した子を思い供養してもらい、一旦悲しい気持ちに区切りをつけ、気分良く帰ろうとしていた私にとってまた嫌な気分に引きずり込まれるような感じでした。

 

でも強くなろうと決めたばかり。

こんな少しの恥で縮こまっていられません。

 

間違ったことをした時は誠心誠意謝ればいい。

ちゃんと間違いに気づいて、反省する心をもとう。指摘されたことに感謝しよう。

と捉えることができました。

 

いまだに母子手帳は見られないし、エコーの写真も見るのが辛いけど、この経験を通して、色んなことを学んだので感謝するばかりです。

 

第二子のことは、天国の母に孫守りお願いね!と頼んでおいたので、かなり気持ちは楽になりました。

夢に頻繁に出てきた母が、それ以来あまり出てくれなくなったのはおそらく相当孫守りが忙しいからなのかなと思ったり。笑

 

私が第二子に会えるのは、自分が亡くなってからなので、それまで母にすべて任せるつもりで、、、

それでもずっと私の宝物の1人であることには変わりありません。

 

水子供養することによって、少しでも前に進めるきっかけになったので、私にはよかったです。

どんな週数で亡くなったんだとしても、身ごもった母としては我が子を亡くすのと変わらず、辛く悲しい気持ちに打ちのめされます。

もし産まれていたら…なんて考えることもしょっちゅう。

だけど僻んだりはしていません。

大切な娘との2人きりの時間や、家族3人での時間もまた増えましたから。

そう思えるようになったのも、供養をして気が楽になったからこそ。

辛い気持ちを抱えているのであれば、行くと少し気を休められると思います。