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母の死と2人目の妊娠

 

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クリスマスを終えてから、母が亡くなりました。

58歳でした。

母の大好きだった作家さんからは『孫たちのために、クリスマスはたのしい時間になるように、日を選んだんだね。』という言葉をもらったり、ずっとお世話になった先生からも『自分で自分の治療法を調べて決める、立派な方でしたね』との言葉をもらいました。

 

こんな若い年齢でなくなるなんて思ってもみなかった。

ふつうにこれから先もずっと娘の成長を見てくれるもんだと思っていました。

 

癌という病と闘い続けて、丸7年でしたが凄い行動力と決断力で治療法を選択していたのを見てきたので、母の最後は辛くて仕方なかったけれども、母の病気の痛みや不安、辛さなどから解放されることに安堵も覚えたりしていて複雑でした。

 

緩和ケア病棟に移る時も、母が早く移して、痛みを楽にしてほしいんですとか細い声でお医者さんにお願いする姿を見て、私もそうしてほしいと心から思いました。

 

でも移ってから、ずっと母の背中をさすっているとき、突然『もうここに入って、母は死の準備をしてるのか』という思いになり、初めて母に見えないように泣いてしまいました。

 

病棟に泊まり込んで、医療大麻が効いた母の様子を見ていると、とても可愛らしいおばあちゃんのようであって、時々ふつうに戻ったりもして、なんだか不思議でした。

 

痛みが緩和されてきたときには、すごく嬉しそうに笑っていて『なんか元気なってきた〜』と笑った笑顔が見られてすごくホッとしました。

でもそれもつかの間の出来事で、その数時間後には、『しんどいからちょっと座ってみよかなぁ』『立ってみよかなぁ』といい始め、しんどさがかなりピークに達しているようすでした。

 

朝方に意識不明になって、危篤になったときにはもうダメかと諦め、母に泣きながら今までありがとう〜と話していると、脈が戻り『まだ生きてるし〜』と笑いながら起きたので、姉と爆笑しました。

 

それから父も来て叔母も来て、みんなで母が意識を戻るのを待ちながら囲んでいると、叔母が来たときは『よかった〜』と叔母の手を握り、父が来たときには『なんか〜どうでもいいけど〜』とまた笑えるようなことを呟いていました。

 

朝が来て、だんだん母のしんどさが増していき、睡眠薬が投与され、夕方ごろ母は眠るように亡くなりました。

亡くなる瞬間、一緒にいられたものの、娘が体調不良だったり、夫とゴタゴタしていたこともあって、嘘でしょ!と思いたいくらいでした。

いやだいやだとダダをこねれば、戻ってきてくれるのではないかと思って何度もそばで母に語りかけたものの、動いてくれませんでした。

 

今母がいない現実がまだまだ信じられなくて、家に帰ったらご飯を作って待っててくれているような、まだ病院に入院しているだけのような、不思議な感覚ですが、でも確実に母はいつも私や家族のそばにいて寄り添ってくれていることだけは絶対に間違いないと信じています。

私が泣き喚いて、家事もままならないような状態にならないように、2人目に命を繋いだのかなと解釈したりしています。

 

亡くなったし会えなくなった、だからといってその人の存在が誰かに奪われるものでも、取って代わられるものでも、無くなるわけじゃないということを身をもって実感しています。

思い出がたくさんあるし、辛いことばかりではなかった。思い出すとたのしいことだらけだよ。

これからもずっとよろしく。お母さん。

 

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このブログを書いたのは1月中旬です。

今になってやっと落ち着いたので、アップしますが、2人目は残念ながら流産してしまいました。

大好きだった母への気持ちを素直に書いていて

2ヶ月経った今落ち着いた気持ちで読むことができます。

 

母が今ももし生きていたら、コロナウイルスをとても怖がって外出も通院も出来なかっただろうなと思います。

同じように、ガンと闘っているひとたち、内部疾患があって、通院しながら頑張って生きている人たちは沢山いる中、こんな恐ろしい病気が日々広がっていくことに恐怖しか感じません。

 

また母が死を感じ、少しでも楽な最期を迎えたいと希望した『緩和ケア病棟』がコロナウイルスに感染した患者さんの隔離施設になっている病院もあると聞いて、やるせない気持ちになっています。

コロナウイルスに感染した人が悪いわけではないのだけど、

頑張って辛い治療しながら懸命に生きてきた人たちが、最期に希望して痛みを取りながら安らかな死を迎えられる場所を奪わないでほしいと思ってしまいました。

命に優劣があってはいけないのですが、、、

ともかくはやくコロナウイルスが終息することを願うばかりです。